【日本における税の歴史】安土桃山時代 ∥ 江戸時代

《太閤検地と石高の課税》

戦国時代を経て、天下を統一した豊臣秀吉は、全国の田畑の広さを測る太閤検地を行いました。
当時の農民姿の春子さんが、検地の現場で秀吉と、

春子

太閤さん、あれなにしてはんの?

秀吉

太閤検地じゃ。土地の善し悪しを調べて、年貢取り立ての基準、つまり石高を定め、キチンと年貢を納めさせるつもりじゃ

春子

良い田は余計取るんか?

秀吉

そうじゃ、2公1民。定められた石高の3分の2を納めるんじゃ

そして、検地帳を作って、田畑ごとに面積や石高、耕作者などを村別に登録しました。

《年貢確保と運上、冥加》

この田畑の収穫・石高に応じて課税する年貢は、江戸時代になってもそのまま受け継がれ、この年貢が税収のほとんどを占めていました。
税率は、幕府が基準を決めていなかったので、大名ごとに異なっていて、4公6民とか5公5民といわれていました。
また、幕府は農民が田を売ったり、細かく分けることを禁止して、生活を安定させ、同時に年貢収入を確保しようとしました。
それでは農民以外の例えば商人なんかはどうだったのでしょうか?
ここで、江戸時代の商人と、お手伝いさんが登場します。

商人

近ごろは運上とか冥加とか、色々な税があるっちゅうもんで、どこでも大変だそうで…

お手伝いさん

そうですよ。おらの里でも猟師の父ちゃんにまで、鉄砲運上がかかるんだから

  • 運上・冥加…商業、工鉱業、漁業、運送業などの営業者に課税された江戸時代の雑税。運上も冥加も同じ意味で使われていた。

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