【日本における税の歴史】弥生後期 ∥ 飛鳥時代

《春子さんの宿題》

学校から帰った中学生の春子さんが、お兄さんの一郎君(大学生)の部屋で、珍しく税金の話を切り出すのがこの物語の始まりです。
どうして税金の話を? フフフ、春子さんはね、先生から『校舎に、プールに体育館にと、中学生の教育費に税金が沢山使われていることを教わったから』なんていってますが、実は宿題だっていうことを、お兄さんに内緒で税の歴史の説明をしてもらおうとしているんです。

春子

お兄ちゃん、日本の税のことが書かれた一番古い本、知ってる?

一郎

知ってるさァ。中国の古い歴史の本・魏志倭人伝さ。

《日本の税の最古の記録》

魏志倭人伝は、3世紀ころの日本つまり、女王卑弥呼が支配する邪馬台国には、建物や倉庫があって、集めた税を納めていたと書いています。収穫の一部が、税として納められていたことがうかがえる記録です。

《大宝律令と租・庸・調》

しかし、税が全国統一的な制度として歴史に現れるのは、701年の大宝律令、班田収授の法と租・庸・調の制度からです。
田を耕す飛鳥時代の農民姿の春子さんと一郎君の前に、役人が現れていいます。

役人

よいか、これからは大宝律令によって、6年ごとに戸籍を作り、6歳以上の男には2段、女にはその3分の2を与える。これが口分田じゃ

春子

うちらにも田をくれるんか?

役人

一代だけなのだ。死んだら国に返す。これを班田収授の法という

春子

そやけど、ただじゃないやろう?

そうです。大宝律令では、口分田を与えられた農民には、『租』が課税されました。租は口分田の収穫のおよそ3%を納める税のことです。
また、男には年間10日、都に行って労役につくか、代わりに布を納める『庸』と、絹や地方の特産物を都に運んで納める『調』も課税されたほか、地元で年間60日、土木工事などで働く『雑徭』もありました。

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